疲れていませんか?
真のリクリエーション
 川辺でのキャンプ、美味しいBBQ、友や家族と語り合う。“リクリエーション”ときいて想像するのは、こんな休みのイメージ。あなたは最近、いつ休みましたか?
私たちには、“リクリエーション” が必要です。リクリエーションには、余暇やレジャーの他に、re-create=「再創造」という意味があります。私たちの真のリクリエーションは、天と地を造られた創造主である神様との関係が「再創造」されるときに得られます。
そもそも、人は、神様にいのちの息を鼻から吹き込まれて生きるものとなりました。(聖書)このいのちの息は神様の霊でもあります。人の、他の動物にない特徴は、神様の霊を持っているということですが、これにより、神様と交わりをできる状態が本来の人の姿でした。この時、働くことは人の喜びでした。なぜなら、何の為に働くのかという目的がハッキリとしていたからです。しかし、現在、神様との会話が途絶え、毎日何の為に目覚めているのか、究極的な目的がハッキリせず、忙しさに身を任せることは、人間をただルーティンをこなすロボットにしてしまう悲劇です。天と地を造られた創造主は、あなたを愛しておられ、あなたと親密に出会うために、休むことを教えてくださっています。仕事、 習い事、趣味等と休みなく
忙しくするのではなく、神様との関係を回復するために、色々なモノを握っている手を開きましょう。創造主との関係の再創造は、次の6日間を創造的に生きる活力となります。
真のリクリエーションとはなんでしょう。それは、あなたの心が再創造されることです。あなたには、真のリクリエーションが必要です。神様は、あなたを再創造してくださいます。一度、最寄りの教会で、礼拝にお越しください。教会はあなたがリクリエートされるところです。

○無関心でした

 高校時代の私は宗教に無関心でしたがクリスチャンの友人に熱心に誘われ「一度だけ」とキリスト教会に行きました。教会の方々は大歓迎して下さり、牧師はぶしつけな質問にも親切に答えて下さいました。その後、何度も教会に行くようになりましたが、聖書の話には納得できずにいました。

○虚しかった心

 教会では自分なりの理論武装をして強がっていましたが、心の中は虚しく自分の存在にも否定的で、自分も人も愛せない状態でした。そんな時、あるクリスチャンの方が『神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された』(ヨハネの福音書3章16節)の聖書の言葉を示し「ひとり子とは神の子イエス様のことで世とは田坪さんのことですよ」と教えて下さいました。

○本当は愛されたかった

 翌年、専門学校を中退し大学受験にも失敗して『もう死にたい』と思い詰めました。その一方で心は『愛されたい』と叫んでいました。その時「神様の愛」が心に迫り「神様、どうかこんな僕を愛して下さい」と祈りました。ようやく、神のひとり子であるイエス様が私の罪のために十字架にかかって死んで下さるほど私を愛しておられることが分かりました。

○救い主を信じてから

 神様の愛を受け入れてから自分の罪を自覚するようになり素直に祈れるようになりました。神様に信頼するととても平安です。何気ない日常が感謝と喜びに変わりました。神様との関係が回復すると人との関係も回復することも分かりました。

○恵み豊かな神様

 教会ではお互いを兄弟姉妹と呼び合う家族的な豊かな交わりがあります。現在の私は、良き伴侶と可愛い娘達も与えられ、神様に感謝しながら毎日を過ごしています。そして、これほど恵み豊かな神様の愛を私のように多くの方に体験して頂きたいと願っています。

 今年は、歴史上非常に重要な出来事から500周年の節目の時です。ちょうど500年前の1517年10月31日、ドイツで、ヴィッテンベルクの城教会の門の扉に、カトリックの若き修道士マルティン・ルターが「95か条の公開質問状」を掲示したのです。そしてここから「宗教改革」の口火が切られ、瞬く間にヨーロッパ全土に野火のように広がり新しい時代の夜が明けました。ルターの「95か条」の内容は特に「免罪符」の問題です。当時カトリック教会は、それを買うと死後地獄や煉獄(天国に行く前に地上の罪を清算する苦しみの場所)でなく、天国に行けると免罪符を販売していたのです。まさに「地獄の沙汰も金次第」。しかし真面目な修道士ルターは、聖書を読む中で、免罪符に疑問を持ちます。聖書は、お金で救いが買える等と決して教えていない。罪の赦しや天国の救いは、お金でも、人間の力でも獲得できるものでなく、ただ神の一方的な恵みによると聖書にハッキリ書かれていると主張して、立ち上がります。この95か条は、その約50年前にグーテンベルクが発明した活版印刷術により、わずか2週間でヨーロッパ中に広がることになるのです。そして、欧州を支配するローマカトリック教皇庁との激しい論争が始まり、遂に彼は異端として破門されます。彼は決して教会分裂を意図していませんでしたが、破門により新しく「福音主義」のプロテスタント教会が形成され、礼拝や教会制度の改革をしていきます。その一例が会衆讃美です。それまでは聖職者しか歌う事が許されてなかったのです。また独身を強いられていた聖職者の結婚。ちなみに彼はあの楽しい「ボウリング」の生みの親でもあります。また腐敗していたカトリック内にも対抗宗教改革が起こり、その時イエズス会が結成され、その1人が、1549年、日本に宣教師として来たフランシスコ・ザビエルです。その後、一時日本の人口の5%がキリシタンになる時代もありましたが、秀吉、家康以降、大変な迫害を受け、隠れキリシタンとして長い間潜伏することとなりました。幕末・明治のころ、鎖国が解かれ、やっと禁教の高札が下ろされ、多くの宣教師が来日し、日本に再びキリストの福音が広がり、今日に至っています。この日本でのキリスト教宣教の歴史は、500年前のルターの宗教改革に遡るのです。

 さて宗教改革には3大原則があります。第1「信仰のみ」(救いはあくまでも一方的な無条件の神の恵み、贈り物である。救いは信仰の手を伸ばして受け取るだけ。努力ではありません)。第2「聖書のみ」(唯一の絶対的権威は神の言葉であるバイブルのみ)。第3「万人祭司」(神の前に全て平等。キリストを信じて救われた者は直接神に仕えることができる)。これらは聖書に明確に示されている重要な真理です。どうぞあなたも、教会においでくださり、神の恵みを受け取ってください。心よりお勧めします。

シェア: