愛の告白

2月になると「バレンタイン」の言葉を目にします。

日本では1970年頃から女性が好きな男性にチョコレートを贈り、愛の告白をする日として広がりました。バレンタインデーの由来は、西暦3世紀、ローマ帝国の迫害下でキリスト教司祭バレンタインが殉教した日とされています。当時は戦地に赴く若い兵士たちが国のために命をささげられるように兵士の結婚が禁止されていました。故郷に家族や愛する人を残しているなら士気が下がるからです。

しかし結婚を望む兵士たちの悲しみを見たバレンタインは、哀れに思って密かに結婚式を執り行いました。やがて皇帝に知れ、バレンタインは投獄され、キリスト教弾圧もあり、2月14日に処刑されたのです。その日を記念して男女の愛を告白する日となったのですが、聖書にはさらにすばらしい愛の告白が記されています。

それは神さまからあなたへの愛の告白です。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)

なんとストレートな告白でしょう。
あなたは日々、神さまから愛の告白を受けているのです。

神の愛はどのような愛でしょう。

第一に神さまがあなたを創造された愛です。あなたは突然変異によって細胞が分裂し、進化し、猿から人間になり、今生きているのではありません。神さまがあなたを母の胎の中に造り、組み立てられたのです。神さまが造られたので、あなたは大切で愛される存在なのです。

第二にあなたの状態がどのようであっても愛する愛です。私たちは神に造られながら、神を信ぜず、感謝もせず、罪を犯す者です。そんな者さえ、神は愛しておられます。

第三に一番大切なものを与えるほどの愛です。神のただ一人の御子イエスさまは、あなたの罪の身代りに十字架で死んでくださいました。神さまが御子の命を与えられたのです。

あなたはこの神さまの愛を受け入れ、
愛に生かされて、新たな人生を送りませんか。

グレース宣教会 牧師 安田 豊


この世には、登り坂、下り坂という坂がありますが、
人生には、「まさか」という「さか」もあるのは本当なんですね。
 
一昨年の5月に、実家の父が不慮の事故に遭遇して亡くなりました。
3月の父の誕生日前に、父と母と私の3人でハルカスにランチに行ったのが、私にとって最後の父との思い出になってしまいました。

父は、何度も病気をしたこともあり、入院したこともありましたが、その頃は、体調もよくずっと元気でした。
いつも一緒だったわけではないけれど、実家に行けば、そこに父がいるのは当たり前だと思っていたので、もう「お父さん」と呼んでも返事がないのは、言葉にならない寂しさを感じます。人を笑わす愉快なところのある父でした。
だからこそ思い出が余計に悲しくなってしまいます。

 更に昨年、同居していた主人の父も療養中ではありましたが、回復に向かっている最中に急死するということが続きました。
いつかは、別れの時が来るとは思ってましたが、思いもかけず、まさかどちらも突然亡くなるなんて予想もできず随分と動揺したものです。
 
聖書に偉大な信仰の人、ヨブのことが描かれています。
「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
ヨブは、愛する子ども達を一瞬の災害で失い、自らも病気になりましたが、その試練の中でも神を見上げ慰めと励ましを受けました。
 
試練と共に脱出の道を備えて下さる神様は、私にも大きな慰めを与えて下さいました。
昨年12月には、初孫が誕生して新しい命の成長を見守ることができるようになりました。
ヨブとは、比べものにならない弱い者ですが、生きておられる愛の神様が共にいて下さる事を感謝します。
初めてこの腕に孫を抱いたときに、喜びと共に、我が子とは違う緊張感がありました。
小さな赤ちゃんの存在にクリスマスに救い主としてお生まれになったイエス様のことを思いました。

神であられたのに人として、私たちと同じようにこの世にお生まれになられたという、謙りの心を深く感じました。
私の弱さの中に、主は現れて下さるという、慈しみ深さと計り知れない恵みに感謝します。

 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練と共に脱出の道も備えて下さいます。」第一コリント10章13節

  南蛮宗門を嫌う畿内の覇王、松永久秀は「宣教師追放計画」を策定し、家臣にその実行を命じた。大和国榛原の沢城を居城としていた高山飛騨守友照も、その実行者の一人。彼は「南蛮宗」の信者と南都高僧とに宗論をさせ、その判者となって「南蛮宗」を排斥するよう命ぜられたのである。

  その時、「南蛮宗」信者の代表として宗論の場に現れたのが、ザビエルの離日直前に洗礼を受けたロレンソ了西。盲目で、素性は琵琶法師と名乗った。この琵琶法師の話しぶりから、彼が日本の伝統文化について極めて造詣が深く、また仏教・神道の理解も行き届いた人物であることが、判者の高山友照に伝わった。その人物が「南蛮宗」を信じて、南都の高僧と対峙しているのである。高山友照は、新鮮な驚きを感じた。やがて、琵琶法師が仏僧らを圧倒し、ことごとく論破したのを見て、不思議な感動が彼に生まれた。いや、それどころか忌むべき心情は晴れ、むしろ大きな「希望」の光を感じ取ったのである。すなわち、ロレンソ了西が情熱をもって訴える「南蛮宗」こそ、この忌まわしい下剋上の世を終わらせ、不信と憎しみから脱却し、「天下布武」の大義を実現できる唯一の道ではないかと考え始めた。高山友照は盲目の琵琶法師から、初めて「南蛮宗」の教理を教えられたのである。

  「世は諸行無常。されど人、はやばやと現世を離脱し、諦念をば悟りと申す法は、豈正しき教えならんや。否、新しき世を開き、行く末に望みを生み出すべからざるものにて候。ただ、応仁の大乱以後、延々下剋上の乱世を見るばかりなり。されど、万物創造が愛の故ならば、その神とその子イエスに従うは人の道、世を和するただ一つの道と申すべきなり。」

  1563年、盲目の琵琶法師ロレンソ了西のほとばしる情熱に感じ入った高山友照は、彼を宣教師ガスパル・ヴィレラとともに大和沢城に招き、しばらく聖書の学びをした後、正室と10歳の嫡男高山右近、及び家臣らとともに、ヴィレラから洗礼を受けた。

  高山友照のように「南蛮宗」弾圧に乗り出しながら、逆に「これはすごい信仰だ!」とその教えを理解し、信仰を受け入れ、洗礼を受けることになった幾内の国人たちは多い。結城忠正(三好長慶の重臣)、結城左衛門尉(結城忠正の子)、清原外記(細川ガラシャを洗礼に導いたオイトの父)など。同年、その熱気は三好長慶の居城、河内飯盛山城に伝わり、そこで三箇頼照(三箇城主)、池田教政(若江城主から八尾城主)など実に73名の戦国武士たちが洗礼を受けるに至った。この年、この琵琶法師は正式にイエズス会に入会し、修道士ロレンソ了斎となった。

学園前グレースチャペル 前川 一武

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