人生に満足する秘訣

 

イエスキリスト様が五つのパンと魚二匹で五千人以上の人を満腹にさせた話は聖書の中で有名です。

ある日、遠くから集まって来た群衆をイエス様は憐れみ、病を治し、神の言葉を豊かに語られました。夕暮れになり、解散の頃ですが、へんぴな所で、彼らに十分に食事を与える事は困難でした。

その時、イエス様は、一人の少年の手にあった五つのパンと魚二匹を用い、それを増やす奇跡により、全ての人のお腹を満たされたのです。

そうです。イエス様は人の必要を満たして下さるお方です。この時、イエス様は値打ちもないような物でさえ、神に感謝を捧げました。少年が持っていた五つのパンと魚二匹を見て、弟子達は「こんなに大勢の人々ではそれが何になりましょうか」と言いました。そこには男の数だけで5000人の大勢の群れがいたのです。しかし、イエス様はそれをもって天地を創造した神に感謝をしました。その時、奇跡が起きました。全員が十分に食べてなお余りました。

聖書に「全ての事について感謝しなさい。それが、キリスト・イエスにあって神があなた方に望んでおられる事です」とあります。これが満足する人生の真の秘訣です。感謝こそ満足を呼ぶ秘訣です。

私たちは大きな事には感謝します。しかし、全ての事に感謝する時に、「あり余るくらいに十分だ」と言える生活になります。皆さん。私たちは何も持たずに生まれました。今、何か一つでも持っていれば、プラスになった人生なのです。よく考えれば、毎日、感謝する事が一つはあるはずです。それを毎日、感謝しましょう。そうすれば、全てに満足できる人生に変わっていくでしょう。毎朝を、感謝から始めましょう。まず、あなたの近くにいる方に「有難うございます!」と言いましょう。そうしたら、きっと満足な人生に変わります。

イエス様の元に導かれた少年の小さな捧げ物により、集まった全ての人が満たされました。私たちも主イエスの元に行きましょう。今日までどんな人生であったとしても、救い主イエス様があなたの人生を満足な人生に変えて下さいます。あなたも、きっと全ての事に「十分だ」と言える人生になります。

グレース宣教会 牧師 李宗根

私は2012年に卵巣がんの手術を受けました。卵巣がんはあまり症状がなく、診察を受けた時には病気が進んでしまって死に至る事が多いと聞いていました。

しかし、診察・入院・手術・抗がん剤治療その全ての上に神様の不思議な介入があり、癒して頂きました。教会の皆さんが祈って下さった事また神様の恵みに感謝しています。祈られている事を思う時、励まされ力を頂きました。

何よりも、イエス様の十字架と復活の信仰によって、罪の赦し、救い、そして永遠の命の希望を頂いていますから、苦しみの中にも平安があり、支えられました。毎日私たち人間は当たり前のように生活しています。

しかし、全ては神様のみ手の中にあり、神様の許しがなければ人間は何一つ出来ない事、生かされているのはただ神様の深いご計画であり、あわれみである事をベッドの上で改めて考えさせられました。

 2017年、以前から教会挙げて長く祈ってきた教会堂が私の家から歩いて2分の所に建てられました。若江チャペルです。20年近く祈っていた開拓の祈りに神様は答えて下さいました。

この町の人々のために、まだイエス様を信じていない家族のためにもっと祈りなさい、福音を語りなさいと、神様が近くに来て下さったようです。

今まで、日曜学校に集えなかった孫たちがチャペルで聖書の言葉を覚え、教えられ、神様に祈っています。何という恵みでしょう。さらに素晴らしい恵みを頂きました。礼拝のための駐車場を探していたところ、近くにN社の駐車場があり、日曜日は空いているようでした。使わせて頂けないか牧師先生にお願いに行って頂きました。何と、N社の社長さんはクリスチャンでした。社長さんは無料で駐車させて下さり、礼拝にも来て下さっています。

「主の山には備えがある」と聖書にある通りです。神様は祈りに答え、愛をもって導いて下さっています。感謝します。

 慶長5年(1600年)7月16日、細川忠興が徳川家康に従い、上杉征伐に出陣すると、西軍石田三成は細川屋敷のガラシャたちを人質に取ろうとした。が、夫の命に従って、ガラシャはそれを拒絶。翌17日、三成は兵に細川屋敷を囲ませた。ガラシャは、屋敷内の侍女たち全員を外へ出し、台所の井戸横に座して、「静けき祈りの時」に入った。やがて、家老の小笠原少斎がガラシャを介錯。すぐさま少斎はガラシャの遺体が残らぬように、爆薬を仕掛け、自らも自刃した。焼け残った井戸は「越中井」として、今にその姿を玉造に残す。…忠興出陣の折、ガラシャが詠んだ辞世の句。  

散りぬべき時知りてこそ世の中の

花も花なれ人も人なれ 

父明智光秀の発句を想起させるような、力強く男性的な詠みぶりである。上五七五は、死を決然と受諾する強い意志を感じさせる。『源氏物語』、桐壺更衣の「かぎりとて別るる道の悲しさにいかまほしきは命なりけり」というような、女性の辞世らしい情感はなく、また夫の仕えた秀吉の、「露と落ち露と消えにしわが身かな浪花のことは夢のまた夢」という権力欲に生きた人の空しさもない。やはり、ガラシャの歌には、この世の悲運が痛ましいほど永遠の命は輝く、という源泉の信仰がある。…『天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある。生まるるに時があり、死ぬるに時があり』(伝道者の書:3・1-2)。散りゆく時を神の示された時として、すべて時宜にかなって美しいと自認したのであろうか。また、下七七は、この世の花(ガラシャ)もまた人(忠興)も散りゆく時を受け入れてこそ「花」「人」である、と太い調子で堂々と言い切っている。夫に従う意志と信仰に対する固い信念が感じられ、ガラシャの最期の心情が伝わるのである。 

ガラシャの死の数時間後、オルガンチノ神父と清原マリアが煙のくすぶる焼け跡を訪れ、ガラシャの骨を見つけて拾った。それから、堺のキリシタン墓地にそれを葬った。関ヶ原より急ぎ帰坂した忠興は、ガラシャの死を深く悲しみ、武家の習いをガラシャに強要したことをひどく後悔したと云う。 

忠興は世情が落ち着いた翌1601年、オルガンチノ神父にキリシタン教会葬を依頼した。ガラシャの信仰には強く反対したけれど、妻を愛した心情は偽ることができない。忠興の生涯の友、高山右近が荒木村重の乱に際し、進退極まって高槻城を一人離脱する時、オルガンチノ神父に神の示す道を祈り求めたように、忠興もまたオルガンチノ神父にガラシャの天の御国への葬送を願ったのである。忠興は深くガラシャを愛していた。生前、ガラシャと詠んだ連歌、忠興「小夜ふけて入りたるものはなにやらん」、ガラシャ「ともしび消えて閨の星かげ」には、二人の長年の情愛が感じられる。葬送式には、高山右近、黒田孝高(官兵衛)ら1,000人を超えるキリシタンたちが参列したと伝えられている。 

ガラシャの壮絶な最期はイエズス会士によってローマにも伝えられ、早くも1698年には『丹後国の女王グラツィア。キリスト信仰のために幾多の苦難を耐え抜いた誉れ高き女性』という戯曲が上梓された。また、1925年に「教育者・ドン・ボスコ」を書き、翌年来日してサレジオ神学院を創立したチマッティ神父は、オペラ「細川ガラシャ」を書いて、日本女性の信仰の美しさ褒めたたえたのである。(細川ガラシャ・終り)

学園前グレースチャペル 前川一武

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