「トラトラトラ」

これは、1941年12月8日(日本時間)、太平洋戦争の始まりで、真珠湾攻撃の開始を知らせる歴史的な電文です。日本側の攻撃隊長淵田中佐※が艦上攻撃機から、第一航空艦隊司令部(空母「赤城」)宛てに送られた電文。この事件から日本が全面戦争へと突入していきました。 8月には、終戦記念日を迎えます。記念日の度に戦争をやめようと言い続けていますが、世界では未だに愚かな戦争、殺し合いは止むことはありません。

生命を与えて下さった神様を離れ

「罪から来る報酬は死です。」(聖書) この一文は、この創り主を無視し、自分勝手な自己中心の姿を伝え、それを罪と呼んでいます。全ての人は、自分勝手な生き方をし始め、この罪に縛られ、罪の言いなりに生活した結果、争いや、殺し合いが起こるのです。罪の結果は死です。

生命を与えられた神様のもとへ

 あなたは、ご自分の父親や母親を心から尊敬していますか。あなた自身や身の周りの方々を大切にしていますか。そして、本当にあなたを愛し、あなたに生命を与えてくださった真の神様の愛をご存知ですか。

誰でも変わることができる

「だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ すべてが新しくなりました。」(聖書)

この聖書の驚くべき約束を、よくご覧ください。「だれでも」新しくなれる、変わることができると記されています。伴は、キリスト様です。「トラトラトラ」の電文を打った淵田氏は、戦後にこの聖書の語るキリスト様を信じて、新しい人生を歩まれたのです。 日曜日の朝は、グレ-ス宣教会の礼拝へお出かけください。創り主である神様からのメッセ-ジが、聖書から分かりやすく語られます。あなたにも、真の平和と生きがいとが与えられるでしょう。あなたのお越しを、心より歓迎します。       グレース宣教会 代表牧師 藤 崎 秀 雄

※淵田氏の証言の載ったパンフレットを、希望される方に 無料で差し上げます。お問い合せは教会事務局まで。 TEL:072-997-4838  FAX:072-996-4951 メール:grace@gmi.or.jp

私の両親はクリスチャンでしたので、私は生まれた時から神の愛と聖書の教えに深く根差した生活を送ってきました。

大学生になった時、私はフィリピンで最も優れた大学で学んでいたにもかかわらず、何のために生きているのか、何のために勉強しているのか、自分の存在の意味について、また自分の信仰について、目的を見いだせずに苦しんでいました。しかし大学2年生の時に、マレーシア人の宣教師との出会いを通して教えられ、たとえ不完全な自分であったとしても、言い訳をせず、神様のために自分自身を用いていただきたいと思えるようになり、教会の子ども集会や日曜学校の教師の働きを始めることにしました。その働きを通して、私は再び神様を個人的に知り、神様の平安、確信、そして自由を味わい知ることができました。さらに、神様は私が抱いていた疑問に対して答えてくださいました。それは私の人生の目的が神の栄光を表すためにあり、私の人生のゴールは神に信頼しながら神を追い求め、私の前に神様が用意してくださっている道を歩んでいくこと、そして私という存在はキリストの中に意味を見いだすことができるというものでした。 

大学の最後の年に、神様は日本で英会話の宣教師として働く道を開いてくださいました。ちょうど卒業後の進路について、情熱をもって神様に仕えることができる仕事を祈り求めていた時でした。神様はすべてのことを計画的に調整してくださるお方で、私たちがただ神様に心から仕えるなら、神様は時間も能力も霊的な成熟さも機会も与えてくださるということを教えられました。

英会話の宣教師として子どもたちを教えながら、私もまた神様からたくさんのことを教えていただいています。神様の計り知れない愛を、日常の小さなことを通して、例えば美しい夕日を目にした時や、教会の人たちの生き方に触れた時、感じます。神様が私を強くしてくださるお方だということを体験しています。神様から愛をいただきながら、子どもたちが私を通して神様の愛を知ることができるように、私のすべてを通して神様の栄光を表していきたいと願っています。

ザビエルが来日した当時、人々は領主から一般庶民にいたるまで、初めて聞くキリストの教えと西洋音楽に耳を傾けた。 

ザビエルは、1551年京都から失意のうちに平戸に戻った後、周防の国(山口)の大内義隆を訪ねた。彼から日本における実質的な宣教を初めて許され、スペインから持って来た楽器クラヴォなどの珍しい文物を献上した。このクラヴォというのは小型の伴盤楽器チェンバロのことであろうと言われている。ゆえに、大内義隆は、大名で初めて西洋音楽を聴いた人ということになる。

さらに1551年の秋、ザビエルは豊後府内(大分)の大名、大友義鎮(後の大友宗麟)の求めに応じて府内を訪れ、キリスト教の布教を開始した。この当時すでに豊後には、ポルトガル商船が入港していて、南蛮屏風のようにザビエル達一行を木管楽器の演奏で歓迎したと伝えられている。

しかし、この年11月、ザビエルは日本を去った。(翌年中国で死去)それ以後、この地には、宣教師たちによって教会、孤児院、病院、学校がつぎつぎにでき、日本最初のキリスト教文化の栄えた町の一つとなった。やがてこの町から美しい讃美歌「グレゴリオ聖歌」が流れるようになる。 

一方山口では、ザビエルが去った後、彼とともに来日したトルレスによって布教が続けられ、1552年のクリスマスには、降誕祭(クリスマス)で歌ミサと呼ばれる音楽演奏つきのミサが行われた。 

また大分府内では、1557年に日本人による聖歌隊ができ、オルガンの伴奏で讃美歌「グレゴリオ聖歌」が合唱されたと当時の文献は報じている。

「グレゴリオ聖歌」とは、グレゴリウスⅠ世がローマ教皇に在位(590年~604年)していた時に確立されたローマ教会の典礼様式とその音楽である。教皇の死後、西欧世界の各地に広まっていった。通常文のミサでは、キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アーニュス・デイの5つの形式からなる単旋律の聖歌が歌われる。このように西洋音楽は、宣教師たちの熱い思いによって、キリスト教とともに日本にもたらされたのである。

聖書の言葉 「全地よ。主に向かって歌え。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。国々に主の栄光を語り伝えよ。諸国の民にその驚くべき御業を。」(歴代誌Ⅰ16:23、24)讃美歌歴史研究会

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